OTのひとりごと

作業療法士10年目突入しました。

ようやくの金曜日

お弁当に入れたサラダのドレッシングがどこからか漏れて机の上がビチョビチョになってしまって悲しかった。

 

今日は信念対立について考えさせられる1日。

 

きっかけは朝からの介護予防事業。

運動講師として関わり始めたのは今年の4月からなので、前年度までの流れややり方を引き継ぎつつ、時間配分等々に体を慣らしているところ。

 

金曜日の参加者は15名程度のグループ。

スタッフは、

看護師(リーダー)

運動講師(私:作業療法士)

他補助スタッフ2〜3名

 

看護師さんの会進行における優先順位は

①安全

②時間配分

とのこと。

だけど、彼女からもらうフィードバックは大抵、

「〇〇さんのようにもう少し早く喋ってください」

「ここのカウントの取り方が〇〇さんと違うので同じようにしてください」

というもの。

ちなみに「〇〇さん」、というのは、日程分担して運動講師にあたっている他の講師の方で、講師歴はこちらの方が長い。

 

件の〇〇さんとは、共同で運動講師をするにあたって、

「運動指導の『やり方』は違っていて当然。参加者の混乱を招かないよう、指導する運動『メニュー』に差が出ないようにしていきましょう」

という情報共有をしている。

 

まとめると、

リーダー看護師が優先順位の上位にあげている2つ(安全・時間配分)は今の所満たして講座をやっている。

運動講師陣の認識として、度外視で良いはずの「運動のやり方(喋り方・カウントの取り方等々)についてばかりフィードバックが行われる、という矛盾。

 

そして、この『やり方』についてフィードバックされる、というのが、結構私含めセラピスト陣にとってストレスのかかる事柄だったりする。

 

もう少しお互いの「大事にしたいこと」「されたら嫌なこと」を共有して、その上でコンセプトに対してどう向き合うかを話し合わないと、この先前途多難な予感。

 

今日はここまで。

 

モグモグ木曜日

木曜日はリフレッシュデー

 

別で業務委託契約結んでいる自費看護・リハの会社経由で、昔から付き合いのある方のリハビリ+α

 

私の訪問リハビリの理想は「近所に住んでる昔からの顔なじみの子がたまたまセラピストになって、リハビリを担当してくれるようになった」くらいの距離感。

異論は認める。

あくまで私の理想の距離感。

 

見えない上下関係のある形ではなく。

ベルトコンベアで作業するみたいに淡々とこなすのでもなく。

ちょっと行って、ちょっとお話して、1週間を振り返りつつ、この先の1週間をどう過ごすかの相談とアドバイスと運動を組み合わせて、また来週、と笑顔で別れるくらいの関係がちょうどいいなと。

 

信頼関係を構築して、あとは相手が必要とすることが何かをしっかりヒアリングした上で必要なことを必要な量だけ伝えていく。

別に医療の仕事じゃなくても当たり前のことだと思うけれど。

 

ただ、最近は高齢化に拍車がかかってるから、TVをつければ健康番組を必ずやっている時代なので、

「昨日TVでこんなことを言ってたのよ〜」

という話をどう扱うかはすごく大事だと思う。

 

TVで報道されるのはあくまでも一般論なわけで(そうじゃなきゃ言う側も自分の首絞めることになるから)、話を持ち出した相手がどういう意図で持ち出しているのか、

1.信頼関係ができている

→TVをみた上で試してみたくなっての相談?

2.信頼関係構築前

こちらがどの程度のレベルなのか推し量ろうとしている?

とか、色々想定しながら対応しなきゃ、知識をひけらかす場にしちゃうと自滅するなぁ、というのが訪問業界に身を置いた結果、周囲から感じることのひとつ。

 

病院の延長線上に在宅があるわけじゃなくて、病院で過ごすこと自体がある意味異常事態なわけだから。

嫌な言い方だけど、そこを見誤って病院の感覚で先生面してたら信頼関係は結べないわけで。

 

 今日はここまで。

尻すぼみの水曜日

毎朝飲んでる黒酢を飲もうとして、間違えてみりんを注いでた。

 

なんだか気だるい水曜日。

今日を乗り越えたら週末まであと一息、そう思ってはいてもなかなか終わらない一日。

 

今日お昼から介護予防で運動講師。

介護予防と言えば、というくらいに「認知症予防」だとか、「脳機能改善」だとかのフレーズがおなじみ。

やはりそれだけ不安を掻き立てる疾患なんだろうな、と、認知症

 

こういう場の話しでよくある反応が、

認知症にはなりたくない。だけど脳トレは好きじゃない」

というもの。

 

そりゃそうだー、私も脳トレって、何だか試されるみたいで、できない自分を責められているようで好きじゃない。

人間には承認欲求があるから。

 

そんなこんなで、参加者の方によくお伝えするのは、

「年を重ねてから大事なのは、『きょうようときょういく』ですよ」という言葉。

誰かのウケウリなのだけど、よくできた言葉だと思う。

言い得て妙、とでもいうか。

 

「教養と教育」

…ではなく。

「きょういくところ」

「きょうようがあること」

なんだよね。

 

いわゆる言葉遊びの類。

 

でも、素敵な言葉だな〜と思う。

 

年を重ねても、今日用事がある、行くところがある。

それだけで、あぁ、毎日素敵に暮らしてるんだなってイメージが沸くし、元気を分けてもらえる気がする。

 

なので、

「今日はようこそおいでくださいました。来てくださって何ですが…」

という話を最後にさせてもらうことが多い。

 

人生50年今昔。

60歳でリタイアしたその先の長いこと長いこと。

 

 

今日はここまで。

やれやれと思う火曜日。

まだ火曜日。

 

今日は午後から区の介護予防の運動講師。

メンバー固定なのでそろそろお互いが馴染みの顔になってきたところ。

今日は骨盤底筋群やら熱中症やらの講話を交えながら、かなり控えめのストレッチと筋トレ。

30度越えの昼日中だったから加減したのだけれど、皆さん回を重ねただけあってある程度運動習慣がついてきた模様。

骨盤底筋群は、背もたれに深く腰掛けてもらってひたすら尻穴を意識した呼吸をしてもらったのだけど、「お尻の穴」って単語を今日ほど連呼した日はないのではないだろうか。

 

夜は夜でナースリハの運動講師補助。

メインの運動講師の方の少しハスキーで通りの良い声が結構気に入っている。

それはそうと、セラピストにとって当たり前のことが看護師にとって当たり前とは限らないわけで。

餅は餅屋、に生まれつくわけではなく、いつの間にかなっているものだなぁと思うなど。

 

今日はここまで。

寝ぼけなまこな月曜日。

仕事に必要なのはモチベーションではなく、プロ意識である。

http://blog.tinect.jp/?p=14310

 

の、この記事、なんとなしにしっくりくる。

 

目下の配属先のひとつが、部長が総合職、課長が専門職、という構造になっていて、ふたりの価値観の差にことごとく振り回されるその他下っ端…という地獄絵図が(ほぼ)毎日繰り広げられている。

 

地獄絵図は言い過ぎたかもしれない。

 

まあとにかく、多少マイナスがあってもトータルでプラスに転じればいい、という考えの部長。

マイナスなことだけはしないでくれ、というスタンスの係長。

その狭間で振り回されるこちらとしては、モチベーションなんて邪魔なだけだし、一喜一憂、曖昧な指示に葛藤する日々の拠り所はプロ意識でしかないなとつくづく思う。

 

今日はここまで。